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ライフビジョン学会における学習活動の意義
ライフビジョン学会

 ライフビジョン学会は、いわゆるサラリーマン層(予備軍、現役、OB、その家族など)を対象として発足した学会である。創立の志は、「一人ひとりが元気に、個性的な人生を送ることが、活性化した社会を創造する」。つまりは、「個人の良いライフスタィルが、良い社会を創造する」という基本的な視点にある。
 この意味において、個人のライフスタイルにのみ関心を注ぐだけでは、良い社会を創造することにならないから、われわれは、社会や世界に関心を持たざるをえないのであるが、われわれの志を実現していくためには、当然、「自分のライフスタイルの確立のための学習」、そして、「われわれが生きている現代社会についての学習」を両立させる必要がある。
 要するに、ライフビジョン学会に参加しているわれわれは、個人における「自己啓発」を、ラィフビジョン学会の仲間のネットワークを活用して、個人と社会の両面に向けて高揚させようとするのである。
 日々の暮らし、忙しい仕事、複雑な人間関係に悩みつつも、われわれライフビジョン学会会員は、一層、優れた人生を創造し、誇りを持てる社会や国、世界をめざしたいと願っている。
 ところで、かつてルネッサンスの強烈なエネルギーの、一つとなったのは、「アカデミー運動」であった。われわれもまた、現代における「アカデミー運動」を展開しようとする。研究会活動はその重要な活動の一つである。
 この小論の目的は、学ぶということの目的、われわれがなぜ学ぼうとするのか、いかにして学ぶのか、などについて改めて探ってみようと考える。


自己啓発の神髄とは人間資源の開発・人生の元気開発
 自己啓発という言葉が、すっかりなじみ深くなって、その分、仕方のないことだが鮮度が落ちた。だからといって、いささかも自己啓発の大切さが失われたわけではない。むしろ、1990年代の世界は第二次世界大戦後の政治・経済・社会体制が大きく変動しているなかにあって、われわれはどっぶり変化の波間に漂っているのだから、時代の変遷に溺れることなく、自己を啓発し続け、新しい時代と人生の開拓に挑まなくてはならない。自己啓発に再び鮮度を取り戻す必要がある。

■自己啓発とは何か
 人は生まれたからには必ず死なねばならない。人生はまた実に短いものでもある。しかし、いかに短い人生であっても、いや、だからこそ人は「自分らしく生きたい」と願うのではないか。人真似でなく、自分らしい生き方を創造すること。考えてもみよう、創造する行為がすばらしいのであれば、「人生」ほど創造の対象としてふさわしいことが他にあるだろうか。
 自己啓発の神髄は「人生を創造する」ことである。自分らしく生きる喜び以上の喜びを、私は知らない。
 生きる喜びに満たされて暮らしている状態は、まちがいなく「元気」である。とすれば自己啓発は究極「元気な人生」を創造する工夫でなければならない。これを私は「自己啓発の元気主義」と呼んでいる。以下は「元気主義」の提案である。
 自分らしい生き方とは他人から評価されることが目的ではない。むしろ、もし他人から評価されることを第一義にすれば、それは自分らしさからの撤退である。自分が自分らしく生きているか否かにこそ最大の関心をおかねばならない。
 では、成功することが大切だろうか。成功とは一つの標的追求の結果であるが、一つの結果は新しい標的追求の道を開くのみであるから、絶対的成功ということが存在しないかぎり、成功それ自体は問題ではない。失敗にしてもそうである。失敗は一つの標的追求の結果であるが、絶対的失敗が存在しないから、失敗もまた問題ではない。
 成功にしろ、失敗にしろ、結果ではなくて、何ごとをも恐れず闘う、その過程が大切なのにちがいない。

■何のために自己啓発するのか
 すっきり言ってしまえば、自己啓発とは人生を闘い続けるために必要なのである。人生は結論の見えたデスマッチである。何年何月何日何時何分に終了のゴングが鳴るかは分からないが、無限に生きられないことは先刻ご承知である。いかに体力作りに励んだとしても、肉体はやがて朽ち果てる。
 どうせ死ぬのだと思えば、すべての努力は徒労だ、という考え方もある。「生きるべきか、生かざるべきか」と悩むハムレットの言葉すらも、どうせ遠からず死ぬ人間が深刻に悩んでいると思うと、なにやら喜劇的にも見えてくる。
 私は、大切なのはここだと思う。「自己啓発の元気主義」は「死生観」をも視界にいれなければならない。そして、「徒労の人生観」の虜にならず、楽天的に元気に人生を生きようとするからこそ、自己啓発の意義があるのではないだろうか。
 人は生まれることを自分で選択したのではない。そして死ぬ(死なない)ことも自分で決定できない。だから、ここで言う楽天主義とは生死を易々諾々と素直に受容し、素直に気持ちよく人生を過ごすという、大きな課題への挑戦を意味するのである。
 死をも恐れぬ楽天主義的人生というのは、これはなかなか容易ならぬ目標だろう。容易ならぬ目標に向かって着々と歩むために自己啓発が必要になるのである。
 好むと好まざるにかかわらず、われわれは「無常の世界」に生きる。今日の安定が明日の安寧を約束しないし、ゲームのルールはしばしば変更される。かくして状況や環境の変化があるから、われわれは自己啓発し続けなければならないと言える。そこで自己啓発とは、「状況や環境の関数」であり、常に状況や環境の変化に対して目配りしなければならないことを意味している。

■いかにして自己啓発するか
 もちろん、自己啓発の方法にこれという定型が存在するわけではないが、「無常の世界」を「自分自身の経年変化」を抱えつつ、「人生を創造する」のであるから、常に念頭におかなければならないのは、
 ◎いったい自分はどうなっているのか、
 ◎今後、どんな自分になりたいのか、
 ◎自分が生きている状況や環境は、どう変化しつつあるのか、
 ◎なりたい自分のために何を目標とするべきか、
などについて、考えることから始めなくてはならないだろう。
 自已啓発、つまり「人生を創造する」ことは、今の自分とは異なった自分に変化することである。それは今の自分を「自己否定」するための思考と、それに基づいた行動を起こすことに他ならない。これを私は六つの階段として表現している。(図)
 「自己啓発」つまり、「人生を創造する」ことは、結局、日々に新しい自分に変化することだ。それは確実に今の自分との訣別、今の自分を「自己否定」する行為である。プライドのある人が「自己否定」することは、口で言うほど容易な作業ではない。「創造の喜び」とは「創造の苦痛」によって作られるということを忘れないようにしよう。


失敗はない、失敗者がいるだけだ
 誰でも「創造の喜び」や「創造のすばらしさ」を知っている。何かに挑戦するには、絶対成功するという確証がないのだから、いつも危険負担がともなう。達成するまでの、予想される苦労に加えて、危険負担を考えてしまうと、自然に安全の大きい方へとなびくのは人情である。しかも、今、それをしなくても自分が直ちに困るわけではない。ここに失敗者への道が口を開けている。

■いかに対決して生きるか
 ところが現実の社会は時々刻々の変化をとげている。私が安心して日々を暮らしたいと考えても、無視されるのがおちなのだ。にもかかわらず人はおおくの場合、忍びよる不安を放置する。不安が存在しても、意識的に無視したり、不安から逃避しようとする。不安はもともと自分の内部の問題だから、放置すればするほど、自分の内部で膨脹する。かくして不安と対決しなければならない時には、手がつけられぬほど大きくなった怪物に対面しなければならない。もっとも大きい問題は、いよいよ足元に火がついてからの行動は、創造的でも何でもなく、ひたすらうんざりするほどの負荷になってしまうことだ。追い詰められているから納期は切迫している。何かを創造するというよりも、負荷から一刻も早く逃げ出すことだけを考えて行動しなくてはならない。同じ苦労をしても、「やれやれ、ようやく終わった」というのと、「やったぜ」というのでは雲泥の差があるではないか。
 われわれは同じ苦労をしても、わざわざ達成感につながらない苦労をしている可能性がある。もし達成感に慣れていたら、もっと人生が楽しくなるにちがいないのだ。
 いかに対決して生きるか、その対象は第一に自分自身なのかもしれない。

■御輿を自分で担げない
 なぜか、人は年を取りたくなくなる。かつて子供時代には、先輩に、親に、あらゆる大人のたくましさに憧れたのに、いよいよ自分が大人になってしまうと、誕生日を忘れたくなる。いったい、何が変わったのか。
 年を取ることを知らなかった時代には、年を取ることの苦悩がなかったのだ。そして、大人に近づくにしたがって、年を取ることの意義が分かったはずだが、いつの間にか、意義のある年の取り方ができなくなってしまったのだ。
 意義のある年の取り方とは何だろうか。それは昨日より今日の自分が前進しているという確信をもてることに他ならない。いつも今日の自分に納得できるのであれば、年を取ることの意義を素直に受容できるはずである。
 年を取りたくない気持ちは、未来を楽観的に考えられないという状態である。つまり、日々にふさわしい目標が持てなくなっているとも言えるだろう。自分の明日にふさわしい目標が持てなければ元気は出ない。目標をもつこと、これがなかなか難しい。
 はっきりしていることは、目標がなければ、まちがいなく人生は退屈である。

■自分が自分を見失う
 元気のない人は自己主張しない。主張するべき自己が存在しないからである。もちろん、口は出すが何もしない、というのでは意味がない。自己主張するには自分の人生に、何らかの目標があり、それを達成する日々の工夫や努力があるはずである。
 ところで、しばしば「会社人間ではいけない」とか「サラリーマンには魅力的な人がいない」という指摘を耳にする。日本全国四千万サラリーマンをまとめて、このように言われたのでは立つ瀬がないが、たぶん、言わんとする意味は、いつの間にかサラリーマンが「金太郎アメ」化してしまって、主張すべき自己を喪失してしまっていると言いたいのだろう。
 会社で一心不乱に任務を果たす。その姿は悪くはない。にもかかわらず、スタンプで付いたような仕事の仕方を繰り返していると、自分の全身が主張しているのは、それは会社の行為だけなのであって、自分が欠落するようになる。
 たとえば会社には仕事を円滑におこなうための無数のマニュアルがある。しかしマニュアル通りに仕事をこなせば問題はないだろうか。
 新幹線のコンパニオンが乗車口で優雅に腰を折って挨拶する。車内では「私たちコンパニオンが皆様のお世話をさせていただきます。ご用があればお申付けください」と決まった台詞を放送する。しかし本当にお世話しなければならない人を注意深く観察しておいて、必要な時に黙ってお手伝いするのが「お世話する」ということであり、車内に騒音を撒き散らすことではないはずである。
 こういう状態はマニュアルを使っているのではなくて、マニュアルに使われているのである。マニュアル通りにひたすら行動しているだけになったら、そこには生きた自分の出番はない。

■失敗したいと思う人はいない
 仮にマニュアル通りにしか行動していなくても、自分がその欠落に気がつかないでいる間は、失敗を認知していないから、主観的には失敗者ではない。しかし状況や環境は必ず変化する。マニュアルが現実から遊離することだってある。コンパニオンの例で言えば、千人以上の乗客のほとんどがお世話を期待していないから、お世話放送で事足りているのに過ぎない。もし皆がお世話を期待したら車内はパニックになってしまうにちがいない。
 人は自分を知らないし、概して自分を知ろうとしない存在である。「自己認知」とはとても困難な作業であるからだ。もしマニュアル通りに行動しているのに、失敗だということが分かったら、おそらく、人は「マニュアルが悪いのだ」と納得するのである。だからその人には主観的には失敗はなかったのであるが、にもかかわらず、客観的には明かに失敗者の烙印が押されるのである。


成長と苦悩
 自己啓発の神髄は「人生を創造する」ことである。自分という「人間資源の開発」が自己啓発である。
 生まれた時はまったく何も知らない存在であった人が、人間社会に触れるさまざまな機会を通して成長していく。まさしく人生そのものが自己啓発のたゆまざる展開である、ところで成長するには苦悩が伴う。
 ずっと幼かった頃は、周囲が驚くほど日々に成長したことであった。今にして思えば、あの革命的な成長の時期、私は何も苦悩がなかった。ひたすら外からの刺激を受け、変化を受容し、悩むことは何もなかったのだ。苦悩がない分、子供たちは成長が早いとも言えるだろう。しかし、なぜか今は幼い頃とは違っている。
 「人生を創造する」ためには、自分の「人生を考える」作業が必要だ。

■いったい「私はどこへ行こう」としているのだろうか
 「人生は船に乗って航海するようなことだ」と言う。
 なるほど巧みな比楡ではある。人生航路という言葉もある。舵取りを誤ると沈没しそうなところも実に航海によく似ている。ところで、航海する船には「目的港」がある。では私の船はどこの港をめざしているのだろうか。ある日、ふと気がつけば私の船はとっくに出港していて、右へ左へ舵をとっているらしいのだが、目的港が知らされていない。ふらふらするのは実に当然なのである。
 人間がさまざまな道具を作る時、道具には目的があるように、もし神が人間を造られたのであれば、人間に目的を与えられたはずである。しかし、私にはまだ神の意志が見えてこない。なにしろ神に近づこうなどと考えたこともなかったものだから、罰当たりの私に簡単には回答を与えてくれないのかもしれない。
 「成長」するためには人生を考えなくてはならない。考えても納得できる回答はえられないかも分からない。しかし「人生を創造する」ためには考えざるをえない。
 私なりに人生を考える。考えたからとて正解を発見できないかもしれないし、それが人生に有意義なのかどうか、およそ保障のかぎりではない。にもかかわらず「考えない人生」と「考える人生」を対置してみれば、私は「考える人生」を選びたい。

■肩肘張る必要はないのだ
 「正解」があるのかないのか、それすらも問題ではないだろう。なぜならば「正解」があっても考えなければ到達できないだろうし、考えても「正解」に到達できないかもしれない。問題は「考える」人生を選択し、「人生を創造する」という人生を生きたのかどうかにこそあるのではないか。
 かくして「成長」とは「苦悩」の産物である。
 要するに「創造」するには「思考」が不可欠なだけである。
 登山するにも、テニスでスマッシュを格好よく決めるにも、いささかの足腰の痛さと、繰り返しの練習が必要なように、「思考」し「苦悩」する時期を通過しなければ「成長」や「創造」の地平に到達することはできないのだ。
 最大の間題は日々に「人生している」にもかかわらず、人生の「思考」と「苦悩」という作業を顧みることもなかったという事実にこそ存在する。「人生している」ことを意識しないから人生における「元気」が培養されなかったに過ぎない。


人生のハードル
 好むと好まざるにかかわらず、人生にもいくつかのハードルがある。それらは障害物のように、時として人生に立ちはだかるが、同時に人生における「成長」のふ化器でもある。自己啓発とは「人生のハードル」を飛び越えるための知忠を磨くことである。

■学校教育までの時期
◎「自我の芽生え」
 最初に「自我の芽生え」がある。周囲の大人たちからちやほやされ、自分もその気になって楽しく過ごしていた幼児期に、忽然と、それまでとは違った自分が登場する。小さなギャングの反抗に大人たちは新しい成長の印を認めて、それまでの態度を少し修正する。何から何まで許容された時期が終り、時には厳しく叱られたりするが、それでも「子供なんだから」と大目に見てくれる。大人はお釈迦さまで、幼児は孫悟空のような関係である。
◎「思春期」
 やがて「思春期」が訪れる。以前との違いは明かである。身内に親や他の大人たちと自分は違う存在なのだという意識が発生し、とりわけ異性との違いに敏感になり、一方では、自分をいつまでも管理下におこうとする大人の意志に対して強烈な対抗心が浮かび上がる。自分のことは自分で決定したいという意思が沸いてくる。夢もあるし、何ものをも恐れぬ、ある種不遜なまでの意識と、自立したいという願望が著しい。
 これらの時期は、時として壁に衝突し、抵抗するか、順応するかの選択を日常的に繰り返す。「自分」自体に対する苦悩と、外部の力に対する反抗心が、すべての世代を通じて著しく大きいのである。

■実社会への参加の時期
◎「二十代から三十代のハードル」
 青年たちは、時として「思春期」を抱えたままで実社会に参加する。
 とりわけ受験システムのなかで、ひたすら受験勉強だけに打ち込んできた青年たちにとって、そこで痛感させられるのは、ますます大きく影を落とす大人社会であろう。一方、青年期特有の苦悩と反抗精神が残る。
 かって実社会に出てきた時、ほとんどの青年たちは思春期を終えていた。しかし、高齢化社会と、繁栄・安定した社会は、刺激が少ないだけ、良くも悪くも成熟に時間のかかる社会である。思春期の時期も以前とは異なってかなり遅れている。
 そうではあるが、青年たちにとって実社会に乗り遅れることはできない。少なからぬ不満、抵抗感を残しつつもおおくの青年たちは先輩たちの後を追い始める。
 やがて仕事にも馴れ、自分のポジションが見える。そして結婚、子供ができ、今度は家族と仕事の狭間でさまざまな葛藤があるかもしれない。
 以上が二十代から三十代のハードルの概観であるが、高齢化社会が「思春期を遅らせている」様相が強いことを喚起しておきたい。
◎「中年危機」
 子供が、かっての自分のような思春期に入る頃、大方の親たちは中年期真っ直中にある。まさに無我夢中で過ごしてきた時期を振り返り、あるいは未来を見詰めることも少なくない。自信満々でやってきたのだが、本当にこれで良かったのか、他にも生き方があったのではないか。ほっと一息つく間もなく、なぜか千々に心乱れることがある。そして日常生活のなかで、時として肉体の衰えを知らされる。「中年危機」の時期が訪れたのである。「中年危機」の最大の課題は何だろうか。それは今まで何かを追い求めてきたのに、その何かを喪失してしまっていることだと考えられる。子供には大人という目標があり、新入社員には先輩社貝の後ろ姿がある。結婚前の青年には家族を持った先輩という見本がある。しかし、中年期になれば、先輩がなしたことは自分も同じように実現し、その結果、とりあえずの人生の目標が見えなくなってしまっている。
 中年期の人は、しばしば「年は取りたくないものだ」と言う。年を取ることは、かって先輩の後ろ姿を追うことであったが、今や、それをしたくない。思えば、今までの大部分の人生においては、格別意識しなくても(あるいは煩わしくても)、自分がなさねばならないことが、向こうから近づいてきた。しかし、今ではそうではない。自分で意識して設定しないかぎり目標は存在しないのである。
 この意味において、よく大人が子供に対して、「しっかり目標をもたなければだめだよ」などと言うのであるが、子供は目の前の大人がしっかりしてさえいれば、常に目標がある状態にいる。問題は大人である。なぜならば、大人は「大人になった」ことによって人生の目標を喪失しているからである。
 また「ピーターパン・シンドローム」が一時期話題になったが、大人が「年を取りたくない」と言うのは、まさしく「大人が(さらに)大人になりたくない」と言っているのであって、これはあたかも「大人のピーターパン・シンドローム」に他ならない。子供が大人になりたがらないのも、大人が年を取りたがらないのも本質的には同じ意識構造なのであって、共通するのは「成長」に対する拒否である。
 人生においては、この時期が大切で、この時期はどうでもよい、というような時期は存在しない。すべての時期が人間形成の大切な分岐点である。にもかかわらず、あえて「中年危機」の時期の重要性を指摘するとすれば、「目標喪失」状態が、以後の追求すべき課題のない人生の開始に通じることである。つまり、「目標なき人生は退屈である」、「成長なき人生は苦痛である」。
 この意味において中年危機は極めて重たい課題を示唆している。
◎「定年ショック」
 さて、職業生活が人々に与えるのは、生活の糧だけではない。おおくの人々にとっては職業生活を中心におおくの時間が流れていく。学校時代に学んだこととは異なった、さまざま知識を身につける空間が職場であろうし、人間同士のネットワークが十重二十重に形成され、ライバルが登場したり、複雑に人間関係に悩むのも職場である。煩わしいことではあっても、それらはまちがいなく人間的成長の糧なのである。
 喜び、悲しみ、苦悩、誇り、失意、軽蔑、憤り、晴れがましさ…さまざまな葛藤を職業生活の期間に体験する。これはいかに「会社人間批判」がにぎやかだとしても、否定できない職業生活の意義である。
 定年は、そうした生々しい空間からの引退である。
 荒々しい息吹が消えて穏やかな世界が開始するのは事実であるが、かつての「役割」「居場所」「人間関係」「時間」に著しい変化が起こる。
 「役割」…人の元気の一つは他者に影響を与える(リーダーシップ)ことである。リーダーシップを発揮する機会がなくなれば、当然、元気が滅退する。だから家庭内でリーダーシップを行使しようとして、家族関係が混乱したりする。
 「居場所」…会社・職場は仕事の場所であると同時に、生活そのものの場になっていることが少なくない。一方、家庭や地域では明確な居場所がない。出番なき居場所というものは落ち着きのよくないものである。
 「人間関係」…仲間、ライバル、上司、同僚、部下、顧客、取引先、社内、社外など、職業生活における人間関係の華やかさは、恐らく人生最大のものではないだろうか。引退はその華やかな世界に一歩距離を置くことになる。孤独に苛まれるのも特殊な事例ではない。
 「時間」…通勤時間も含めて、また意識下の時間も含めて、職業生活における時間はまさしく会社や職場を中心に回っている。人生の一番活力溢れた時期を長期間にわたって過ごす、職業生活の場の時間が体内時計として内臓されるのは当然であろう。自分自身の新しい時計を作るのは、口で言うほど容易ではないのである。
 以上のような背景から、定年後の少なからぬ人々が、定年後生活への不適応症状としての「定年ショック」を体験している。
 要するに「定年ショック」は、定年後において職業生活に見合うほどの、元気を創出する刺激を持ちうるかどうかを問われると言えよう。真面目に職業生活の日々をこなしているというだけでは、「定年ショック」を避けられないかもしれない。しかし、職業生活を適当に過ごしていた人が良い引退生活を手に入れる、ということもまた考えにくい。
 とすれば職業生活を一生懸命に闘うのは当然だが、「与えられた仕事」「与えられた役割」に埋没するのでなく、何か「自分らしさ」を追求する生活態度が不可欠なのではないだろうか。


学ぶことを停止すれば人生は停止する
 人生はなかなか容易ではない。頼みもしないのに次々に問題が発生する。たとえば仏教では「四苦八苦」という言葉がある。
 四苦とは「生・老・病・死」、さらに「愛別離苦」(愛するものとの別れ)「怨憎会苦」(嫌で憎いものとの出会い)「求不得苦」(求めても得られぬ)「五麓盛苦」(何もかも苦に満ちている)四苦を合わせて四苦八苦と表現している。
 いずれも、われわれが避けては通れない人生の諸様相を指摘しており、素直に理解できる内容である。
 ホルムスとラーエはストレスの測定表を発表しているが、ストレスのスコアが高い上位十位を抜粋すると、配偶者との死別、離婚、(結婚生活の)別居、刑務所の服役、親族との死別、傷害または病気、結婚、仕事を首になる、(結婚の)和解、定年退職などと続く。結婚や和解などは、いわゆる四苦八苦ではないかもしれないが、ストレスの観点からはスコアが高い。これらも身近に体験することが少なくない。そして前述の「人生のハー-ドル」もまた避けがたい。

■人生の危機
 平凡に過ぎているような人生ではあっても、誰もが避けられないさまざまな危機が訪れる。
 一つは「人生のハードル」や「四苦八苦」するような危機である、これらは誰でも避けては通れない。辛いことではあるが、事実として受容しなければならない。
 もう一つは比較的偶然性の、あるいは自分に「特別に発生する」危機である。たとえば、成績不振、失恋、受験の失敗、落第、離婚、事故、犯罪、転職、失業、転居、事業不振などのように。
 危機の特徴は、概して自分が期待していないこと、避けたいこと、さらには予想もしていなかったことに、突然襲われるのである。
 たとえば日本のように、極めて安全な国に暮らしていると、自分が何かの犯罪に巻き込まれるなどとは、露ほども考えていない。ハイテク戦争をテレビゲーム気分で観戦しているほどである。危険などは、ふだんは絵空事に過ぎない。ところが外出して帰宅してみたらコソ泥が入っていた。たいした物は盗まれていないのだが、実に気持ちが悪く平静を欠いてしまう。
 自分が被害者になるわけはないと、頭のどこかに信じこんでしまっている。健康診断後に精密検査を受けるように指示がくる。同僚はパスしたのに、どうして自分だけが胃カメラ飲まなきゃならないのか、と不安になり、不愉快極まりない。
 自分は会社に十分貢献していると確信していたのに、人員削減の方針が出て、自分にも面接の案内がきた。まさか、どうして自分が…。今までの会社の景色がガラリと変わって、職場中の視線が背中に刺さっているような気がする。予期せぬ配置転換を指示されただけで心の病気になったという人も少なくない。
 冷静に考えれば、危機は常に身辺を漂っているとも言えるのであるが、すべてはうまく運ぶと無意識のうちに確信しているものだから、まさかの危機が発生すればパニック状態になってしまうわけである。
 そこで逆に言えば、危機をある程度予測して、少なくとも自分の人生に知識として織り込んでおくことができれば、危機の重さはかなり軽いものになるのではないだろうか。あるいは危機管理の目で自分の周囲の状況や環境を常々分析しておけば、問題解決の近道になるし、心理的に追い込まれる度合いが軽くなることもまちがいないだろう。
 もう一つの視点は極端に言えば、人は危機をはじめとして、いろんな外部の刺激によって成長してきたという事実に注目するのである。
 きれいな雪に触ってみたら冷たかった、美しい女性に惚れてしばらく付き合ってみたら中身のまったくない人だった。冷たかったり、中身がないという事実は、体験したから理解できた驚きであり、それが仮に失望であったとしても、そうした日々のささやかな発見が自分を今日まで育ててきたのである。もし赤ちゃんを外界の刺激がまったくない保育器に入れたままで育てたらどうなるだろうか。栄養さえ与えれば肉体的に成長はするだろうが、脳の発達はまったく期待できないにちがいない。
 つまり、危機は人生開発の機会であり、人の成長の機会である。「ピンチの裏にはチャンスあり」である。
 ところで危機が訪れた場合の人間の対応はどんなものだろうか。
 概ね、過去の自分の経験に照らし合わせて対応しようとする。危機に潰されそうになるのは過去の経験になかったこととの遭遇であったり、過去の経験則がうまく適用できなかった場合である。
 そこで自分の仲間に相談したり、場合によっては専門家の力を拝借する。そして学ぶ。学べば、それは自分の成長であり、次の人生への階段になる。おそらく、人生は日々、同じことの繰り返しに見えても、ハンコで付いたような同じことはありえない。
 とすれば、人は意識するか無意識かは別として、常に学んでいるのであろう。「生きることは学ぶこと」なのだ。だから、学ぶことを停止すれば人生は停止する。


生涯学習の意味
 現代のわれわれは「学ぶ機会」に十分に恵まれている。もちろん機会が多いことと、実際に学ぶことは一致しない。これは誠にもったいない。

■貧困と教育
 産業革命以降、ヨーロッパにおいては、大衆の貧困と、その背景にある無知が見過ごせないほどに膨れ上がっていった、五歳か六歳になれば彼らは働きに出るしかなかった。そして少し金があれば飲んで騒ぐ。まさに野原に生えている雑草のような暮らしであった。イギリスのごく一部の目覚めた労働者たちは借金だらけ暮らしを何とかしたいと考え、少ない週給を工面して仲間の一人を夜学に通わせ、休日に彼から読み書き計算を教わった。
 ジャン・ジャツク・ルソー(フランス1712-1778)は1716年に教育小説「エミール」を発表した。その中で貧困や身分差別の実態を突き、社会改革としての教育の在り方を提起した。ルソーは言う。「社会の中では誰もが他人に依存して生きているのであるから、労働で支払いしなければならない。労働は社会的人間の不可避の義務である」「人間を扶養しうるあらゆる職業の中で、もっとも財産と他人に依存しないのは職人の仕事である。(農業という仕事はもちろん良い仕事ではあるが)農民は土地に縛り付けられているが、職人は自分の腕次第、(生産手段に縛られず)どこでも食べられる」
 ルソーは社会関係を理解し、人として成長するための労働の教育的意義に注目した。労働を通じて学び、貧困を脱出して、社会を良くしようという発想であった。彼は、生徒たちが、「農夫のように働き、哲学者のように考える」ことを期待していたのである。
 この言葉は学ぶということの「社会関係性」を見事に言い尽くしているのではないだろうか。
 ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ(スイス1746−1827)は農民の余りに悲惨な生活を改善するべく、自費をはたいて貧しい農民の子供たちに仕事を教え、読み書き計算を教えた。ペスタロッチは言う。「民衆を助けることが容易であるか、困難であるかに問題があるのではない。…あなたが向上するのを助けよう」
 実際、彼のこの試みは挫折を余儀なくされたが、社会的影響は大きかった。そして、「民衆が慈悲心やお金から独立できるようになる大きな手段は教育である」。これがペスタロッチの生涯を貫いた思想である。
 ルソーやペスタロッチの時代は学習がまさに生きることに直結していた。庶民が貧困生活から這い上がるには学んで有益な技術を身につけなければ、一生どん底生活に甘んじなければならなかった。
 教育とは人の「自立」を達成する手段であると、ペスタロッチの言葉を言い換えよう。

■技術革新と教育
 ヨーロッパではすでに19世紀に技術的進歩が未熟練労働者を工場の外へ排除することになる点に注目していた。以前はひたすら機械の一部として真面目に働く労働者を必要としていたのだが、技術革新によって、職場は、かなり高度の機械を操作するための知識と専門的教育をうけた一部の労働者エリートにとって代わられた。
 最初、職業学校は徒弟制度における親方の教育の代用であり、量産であったが、技術革新によって、熟練労働者(職長、監督、技師の助手など)の養成機関に変質していく。初期の職業学校は貧乏人の子弟のものだったが、今度は中産階級の子弟も登校するようになった。結局、企業が必要な人材には出費を惜しまなかったからである。
 しかし、やがて技術の停滞、横ばいが続くと必然的に熟練労働者の供給が増加し、労働条件が以前のようには向上しなくなる。今日の日本は高校卒業者の40%近くが大学進学する高度学歴社会であるが、本来の高等教育出身者が就職すべき仕事が、それにふさわしく存在するとは言えない。
 ここから理解できるのは、指示されマニュアル化された仕事を無難にこなす労働者ではなく、自分の明確な意志をもち、仕事を創意工夫し、つまりは「仕事の個性化」のできる人が求められているということである。そのための教育・学習には際限がない。
 さらに、これは教育の必要性が極めて「時代性」の強い存在であることをも示唆している。

■生涯教育の概念
 かつてユネスコの世界教育者会議は「生涯教育の概念」(1967)を提唱した。私はそれを四字熟語にした。
◎「生涯継続」
 人は日々成長している。加齢とは成長の同義語である。生きていること自体が学習の集積である。肉体はやがて衰えるが、学習によって生きる強さを養うのである。学習は生涯継続するべきものである。
◎「変化対応」
 世界は無常である。変化こそが正常なのだ。失敗する人に共通するのは変化に対する不適応症状である。変化に対応し続けるためには不断の学習に勝るものはない。社会変化に対応するために学習が不可欠である。
◎「全的関連」
 人は集団、組織、社会に属する。人は一人では生きられない。人は集団、組織、社会の中からさまざまな刺激を受けて成長する。人は集団、組織、社会にさまざまな提案をして後見する。教育はあらゆる機会に関連する。
◎「終身教育」
 学校教育は社会人の基礎である。社会人になってから、人は本格的に人として成長する。人生を卒業するまで学習して成長する。学校教育のみでは教育は終わらない。
 結局、自己啓発とは「社会関係」の中に生き、「自立」と元気な人生としての「個性化」をめざす人が、「時代状況」にふさわしく、「生涯を通じた学習」によって自分という「人間資源」を開発し続けることに他ならない。


アンラーニングのすすめ
 学ぶことの大切さについて否定する人は少ない。にもかかわらず本当に学ぼうとする人も、また少ないのではないだろうか。さらには現在はおおくの情報が流れているが、知恵として脳裏に記憶させたいほどの情報がいかほどあるだろうか。昔の人たちはどう学んできたのか、学び方について考えてみよう。

■孔子の学び方
 「論語」学而第一には、
 「子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知不慍、不亦君子乎」とある。
 「子のたまわく、学びて時にこれを習う。また悦ばしからずや。朋あり、遠方より来る、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや」
 孔子は言われた。学んではくりかえし勉強する。嬉しく楽しいではないか。(学びの)友が遠くからも訪れてくれる、実に楽しいではないか。他人が(私を)知らずとも気にしない、(道を求める)君子なのだから…。
 この短い言葉には学ぶことの意味が明快に表現されている。学ぶことに悦びを感じ、友と一緒に学ぶことを楽しみ、名誉を追いたいというような余計な感情にとらわれることもない。
 なぜ、ここまで明快に学ぶことを悦べるのだろうか。それは学ぶ目的が決定的に明確になっているからであろう。
 孔子の学問の目的は「仁」にあり、目標は「仁」に生きることである。「仁」とは真心をもって人を愛すること、思いやりであって、私利私欲や利己がない。私利私欲や利己に打ち勝つのは克己であり、これには大変な勇気が必要である。そして(生きたいように生きているのだから必然的に)絶えず楽しいのである。
 つまり孔子は人生における明確な「目標」を持ち、それを追求し続けているのだから、日々に元気である。元気状態は楽しいから、ますます学ぶことに力が入る。元気な孔子は発信力が強いから全国から高名を慕って人々が集まってくる。まして遠くから(道を求める)友人が訪ねてきたりすれば最高に楽しい。時には身分の卑しい人たちも訪れたが、孔子は同じ道を求める人が道を問うのに門戸を閉ざすことはできないと言って、喜んで会ったという。
 また学ぶ方法として、孔子は「博文約礼」、ひろく文を学んで、しかし、ただ学んだだけでは雑然とした知識に流されるだけの知識人に過ぎないので、さらに、ものごとの本質を極め、礼をもってそれを実践する、という態度を提唱している。礼とは礼儀であり、感勲無礼などではなく、感謝の念をもって行動できる態度を言うのである。
 学んだことを礼をもって実践するほどには、なかなか学べない。われわれはしばしば論議をするが、言葉の空中戦であり、自分が言葉によって真剣に謙虚に実践していることを語っているのとは、おおいに距離感がある。
 「論語」雍也第六には、
「冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廃、今汝畫」とある。
 「冉求いわく、子の道を悦ばぬに非ず、力足らざるなり。子のたまわく、力足らざる者は中道にして廃す。今汝は画ぎれり」
 弟子の冉求(ぜんきゅう)がぼやく。先生の道を学ぶことが楽しくないのではありません。自分の力不足です、と。孔子は言われた、力不足の者は途中で止めるが、今の君は自分で見切りをつけているではないか。
 孔子は学ぼうとする者には、それが身分卑しい者であっても厭わず教えたが、それは学校教育の詰め込み教育のようなことではなくて、自分から学ぼうとする者に対する教えであった。これは明らかに自己啓発こそが学ぶ態度の基礎にあることを意味している。また、孔子は自分の考えを一方的に教えるのではなく、相手から学ぶ態度を貫かれたと言う。これは相互啓発である。「論語」が今日に至るもおおきな魅力を失わないのは、われわれをして学ぶことの真理に導く内容を有するゆえではないだろうか。

■公家の学び方
 日本では大宝律令(701年)後、公家の学令(学校制度)が決められた。大学は明経、明法、文章、算の科があって、学生が四百人いた。中国・唐の制度にならって貢挙(官吏登用の国家試験)制度があり、試験成績によって秀才、明経、進士、明法、書、算のそれぞれにランクづけがなされていた。
 公家は自分の子弟の学問、教養を極めて尊重し、たとえば藤原冬嗣が設立した藤原氏の私学・歓学院(821年)、在原氏の奨学院、橘氏の学館院などがあり、後世に「歓学院の雀は蒙求を囀る」(門前の小僧、習わぬ経を読むと同義)とまで言われた。事実、藤原氏一門の隆盛は歓学院を中心におおくの人材を育てたことによる。
 公家においては、才能、教養、容貌を著しく問われた。公家の生活は「詩歌管弦」である。詩とは漢文・漢詩、歌とは和歌、管弦とは楽器の嗜みである。この三つに優れた人のことを「三船の才」と称えた。
 文章学はとくに尊ばれ、公家の教養の基礎をなしたものである。書道、文字に対するこだわりは大きく文字を学び習練するのが常識であった。さらに和歌は、公家のコミュニケーションには不可欠であり、自分の意志を相手に伝えるには和歌をもっておこなうことがおおく、日常的に和歌の才能が磨かれることに通じた。そして音楽の素養も重視された。公家の宴などでは書あり、和歌あり、管弦ありで、昨今のカラオケ文化の底の浅さとはえらい違いである。
 かくして公家にとっては日常生活それ自体が学ぶ生活である。しかもそれによって彼らは処世の立場が決定されてしまう。「詩歌管弦」は軟弱な公家の手慰みではなく、奥行の限りのない「目標」であったと言えるのではないだろうか。

■武家の学び方
 「中庸」では三徳とは「智・仁・勇」である。中世において武家社会を創立した源頼朝は武家の三徳として、普代の勇士、弓馬の達者、容儀(礼儀にかなった身のこなし)の神妙者を要求した。公家社会のアンチテーゼとして誕生した武家社会を維持するには、軟弱の気風が育ったのでは長持ちしない。しかし暴れ者の戦闘屋では人々の歓心を獲得できない。そのような頼朝の考え方が滲んでいるようである。
 やがて武家の嗜みの第一は文武弓馬の道とし、とりわけ弓馬を表芸としたが、戦国の世のならい、日常的に武芸を鍛え上げることこそ、生き残りの道であった。武家の生活舞台は「常在戦場」であり、戦場こそが最大の教育機会である。
 そうした激しい日常の中で、武家の子弟は手習い、看経、読書、和歌、管弦、笛・尺八などを嗜んだ。武家の生業としての激しい戦闘行為・武芸と、一方で公家の敷島の道に通ずる詩歌管弦を学んだ。武芸を第一義としつつ、その専門性のみに溺れるだけでなく、諸芸に通じようとしていた武家もまた、限りのない学びの「目標」に挑戦していたと言えるであろう。
 かくして孔子、公家、武家の学び方には共通点を上げることができる。
 ◎人生における明確な目標があること、
 ◎目標達成のためには学ぶことが不可欠であること、
 ◎極めて全人格的な傾向が強いこと、
などである。
 激しく自分を突き動かすような「自己啓発」の世界に入るためには、学びの動機も対象も、それが自分のためになることが第一である。しばしば会社で自己啓発の必要性が説かれるものの、すでに他人によって自己啓発しなさいと指摘される点において、少しも自己啓発ではないし、しかもおおくの対象は仕事に直結した成果を期待されている。
 これでは自己啓発ではなくて、単に与えられた課題であり、ノルマに過ぎない。そればかりか、その要請が「自己啓発」という名を被せておこなわれるだけ害がある。ノルマでは本当に人を元気づけることができない。「馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬が水を飲むか飲まぬかは馬の勝手だ」という教育関係者が好んで使う譬えがある。これは「水を飲みたいか、飲みたくないかの分らぬ馬を水辺へ誘う」
ということであり、すでに出発点から間違えている。もし、会社の教育担当者が「自己啓発」してもらいたいと思うならば、その勧誘態度は、「馬の喉を乾かさせる」ということにあるべきである。
 これを自分に言い換えてみよう。
 ◎私は喉が乾くほど何かを求めて生きているのだろうか、
 ◎乾きを覚えていないとすれば、私は今、満足しているのだろうか。
 ◎この満足はかなり長期に継続できるような満足だろうか。
 ◎何か不満があるとすれば、その不満を具体的に表現してみよう。
 ◎不満を解消するためには何をおこなうべきだろうか。
 ◎その行動のために何を学ぶべきだろうか。


若いということに価値があるのではない
 意識するか否かは別として時間は確実に過去って行く。今日の若さはすでに過去のもとなりつつある。

■高齢化問題は本当に認知されているか
 わが国においては「高齢化社会」が加速しているが、それをもっとも意識しているのはすでに高齢期に近づいたか、真っ直中の人であり、それ以外の人々にとってはまだ他人ごとである。しかも高齢化社会の問題点は年金や介護の問題に尽きると考えている人も少なくない。もちろん、それらは確かに高齢化社会の問題ではあるが、問題の本質は、「誰も高齢化から逃げられない」ということなのである。
 それは生まれた時から人々が抱えている課題なのである。最近、高齢化に対する社会的関心が高まったのは大変に好ましいが、まだ戦略がきちんと建てられたわけではない。たとえば、「長生きできることは本当にすばらしい」と確信している人がどれだけ存在するだろうか。まだ多くの人々にとっては、「高齢化は難しい問題であり、できれば考えたくない課題であり、そしていつかは誰かが安心して生きられるような方法を考えてくれるにちがいない」と神頼みにも似て、直視されていないという問題性がある。これでは、個人の不安はやがて社会不安につながっていくだろう。

■「老い」の精神を確立せよ
 昔から人間社会の最大の研究課題は、煎じ詰めれば、「いかに生きるべきか」ということであった。
 快適な現代社会にしても、原始時代から一貫して流れている人間の生きるための闘いの延長線上に存在するのであって、しかもその課題が解決されてしまったわけではない。
 かつての人々は、日々に生きることすらおぼつかない厳しい環境の中で、まさに生死と対面しつつ生きていた。今は科学的・経済的な発達のお陰で、緊急の危険性からとりあえず解放されているに過ぎないのであって、釈迦が指摘した「生・老・病・死」から根源的に解放されたわけでも何でもない。その意味では、人間は太古から何も本質的に解決してはいないのである。そして、さらに今では、「何のために生きるのだろうか」をいっそう真剣に考えなくてはならない時代に入っている。
 その証拠に、せっかく長生きできるようになったにも関わらず、人はしばしば、「肉体が老化して長生きするよりも、花のうちにコロリと死にたい」、「年は取りたくない」などと言うのである。
 では「若い」と言うことがそんなにすばらしいことなのであろうか。もし「若い」ことが絶対的価値であるならば、人はこの世に生をうけた瞬間から絶望的な歩みを続けていることになってしまう。その一方で事故などで突然の死がみまった時、誰も、「コロリと死ねて良かった」とは言わない。
 つまりわれわれにとって最大の問題は、「いかに生きるべきか」、「何のために生きるのだろうか」という命題と対決しつつ生きることに他ならない。
 そして、「いかに生きるべきか」、「何のために生きるのだろうか」を考えることは、生をうけた時の何も知らない、何も考えない状態から成長して「人の道」を探索し続けることに他ならない。
 だから、それは「幼い」とか「若い」ことからの脱却なのであり、人として生まれた以上、人は「老い」を目的意識的にめざすということでなければならない。偶然、「老い」は人間的成長と肉体的衰退の合併症であるから、人々が肉体的衰退をもって「老い」を拒絶し、「若い」といわれたい心情は理解できるのだが、肉体的衰退にあまりにも傾斜しすぎた考え方を歓迎するわけにはいかない。
 なぜならば、その考え方を是とすれば、人は確実に老いるのだから、「高齢化」の否定に通じてしまうからである。

■「ルネッサンスの精神」の復活が必要だ
 この意味において「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」というクーベルタン男爵の歴史的名言すらも歓迎できない。それは明らかに差別の発想なのである。これは産業革命(十八世紀後半から十九世紀初め)を柱とした近代西洋主義の余りに即物的な人間観であると言わざるをえない。
 ところで、産業革命に先立つルネッサンス(十六世紀)は、中世の硬直化した文化・精神・制度、とりわけキリスト教(旧教)神学と封建制度がもたらしていた「人間疎外」から「人間解放」を遂げたと言われている。そして、その「人間疎外」を突き、「自由検討の精神」によって新しい時代を開拓した意義において、いわゆる「ヒューマニズム」が台頭したのであった。
 だから「ヒューマニズム」とは、結局は、「人間とは何か」、「人間の生き方はいかにあるべきか」を根源的に追求しようとしたのであり、それが「ルネッサンスの精神」であったと考えるのである。
 もちろん人間が、人間に支配されたり、人間が機械に従属したりするようなことは、およそ「ルネッサンスの精神」とはあい入れないはずであった。そして自由な「ルネッサンスの精神」があったればこそ、近代の産業革命の扉を開くことになったのだが、近代西洋主義においては、機械文明の猛烈な発達、大量生産による膨大な物量世界の登場によって、再び「人間疎外」を発生せしめたのであった。
 近代西洋主義は短絡的に言えば「効率」の思想を世界中に攪拌した。技術革新が人間労働を機械化し、機械が人間を機械の流れに組み込み、熟練労働の価値を押し下げた。「効率」の思想が天下をとる世界においては、人間もまた「効率」によって価値判断されてしまう。
 わが国はしばしば「エコノミック・アニマル」と郡楡されたが、それは近代西洋文明をもっとも優等生的に実践したということに過ぎない。
 その結果として、とりわけ企業社会においては「中高年問題」が発生した。中高年問題とは単に、中高年者の給与と働きのバランスが妥当性を欠くというようなことではない。企業の中で営々と生真面目に働いてきた結果がもたらした不均衡なのだから、その根本原因は「効率」万能、「効率」単一価値で企業を運営してきた錯誤が現れたと考えるべきなのである。
 そうでなければ、人間のための技術進歩や経営が、結局は人間を排除するという本末転倒の矛眉にぶち当ってしまう。
 企業もまた社会の全体システムの中の部分システムである。企業を経営するのは、うたがいなく「人」である。この人々が「機械と人間」を同程度に考えるかぎり、わが国の高齢化には未来がない。「若いということに価値があるのではない」のだ。


青春は失策、壮年は苦闘、老年は後悔
 名言というものは時としてご都合主義的に転用されるが、それは転用する人が正しくないのであって、時代を超えて生き残ってきた言葉には、否定できない真理が含まれている。「青春は失策、壮年は苦闘、老年は後悔」…これは概ね真理に近い。

■青春の自己陶酔
 ほとんどの場合、青春は失策の間に幕を閉じる。老境に入った立派な人々がしばしば青春時代を回顧するのを目の当たりにするにつけ、その心情は概ね過去を「美化」しているに過ぎず、したがって今の老年が後悔の世界にあるということを問わず語りに示していると思う。青春が本当に良かったと回顧できることであるなら、老境の今をもっと喜べるはずではないか。
 青春の失策性とは、実に何も考えていないことからくる。第一、青春期には人はまだ自立していない。自立していない人が人生の未来を真剣に考えるわけがない。多くの青年たちは幼児期から甘やかされて育ち、その必然として自己満足と自己陶酔の真っ只中にある。ナルシスムの最大特徴は自分の失敗すらも美化してしまうことだ。
 そして平気で嘘をつく。しかし本人には嘘をついているとの認識がない、なぜなら、それは自己美化の単なる方法に過ぎないからだ。したがって、まったく同情の余地がないわけではない。嘘は虚栄に基づくのであり、虚栄は自分がそうありたいという切なる願望なのだから、うまく行けば嘘がバネとなって成長するからである。
 青春にはほとんどの場合、反省がない。無防備なまでに自信過剰で、親からさえ自立していないにもかかわらず、まるで自分が神にでもなったつもりでいる。生も知らなければ死も知らず、性に対する強烈な関心が、まさに死のアンチテーゼとしてのエネルギーだということも分からない。見事なまでの精神的放埓性、それが青春である。
 職業選択一つをとっても、いかほど自分の適性を考え、相手を知り、覚悟しているだろうか。おおくの場合は行き当たりばったり、感性のおもむくまま、売り手市場の時は王様のようにヨイショされて気分の良い所へ、買い手市場の時は乞食のようにとにかく居場所を探せというわけで、いずれ劣らぬご都倉王義だ。
 かくして青春は確実に失策である。

■壮年の自己喪失
 青春の失策を知らずにいて、成功が訪れる道理がない。物珍しく結婚し、気がつけば自分が維持しなければならない家族の楔があって、まさしく二進も三進も行かない。そこそこ世間体というものの見栄もある。今度は自己陶酔に世間体がとって代わる。
 もし青春の自己陶酔が筋金入りなら、それは引き続くはずだが、もともと本気で自己陶酔していたのではなく、何も考えぬ結果であったのだから、簡単に転向する。あたかも大昔から人生の苦悩を背負い、責任を感じていたかのごとくにふるまう。
 壮年の合い言葉は、「家族のために」、「会社のために」、「社会のために」と、まったく殉教者のようなストイシズムと、著しい自己喪失の世界にいる。自分はこんなに皆のことを考えているのに、誰も私のことを考えてはくれない。やりきれないが、それが「私の生きる道」。ど演歌が流行するはずなのだ。
 何かを考えなくてはいけないが、「(忙しくて)何も考えられない」、「このままで将来はどうなるのだろう」、「しかし今が大切だ」と、結局は何も考えず、自分を考えず、ただひたすら苦闘して日々を送る。

■老年の自己陶酔
 未成熟な老年を語るのにもっともふさわしいのは、彼らが極めて感傷的世界に遊ぶことである。たとえば、「昔は良かった」、「君たちは若いからいいなあ」。
 彼らは過去を語るが未来を語らない。語るべき未来がないことと、未来が存在しないことは同一ではない。未来は厳然として存在するのだが、すでにリングにタオルが投げられてしまったのだ。
 感傷もまた一種のナルシスムである。なすべきことを喪失したのではなくて、なすべきことを放棄してしまったのである。青春のナルシスムは自信と虚栄の塊であったが、老年のナルシスムは自信喪失と自己卑下の塊である。そして自己卑下とはマイナスの虚栄に他ならない。
 悲惨なことに、過去の感傷に浸る間は、後悔があっても、まだ反省がない。なぜこうなったのかを反省すれば、明日への態度が決定できるが、ひたすら感傷に浸るだけだから、過去からのマンネリズムを突破できない。老年の後悔とは、結局、「何も考えずに生きて、依然として何も考えない」という筋金入りのマンネリズムに漂っていることなのである。

■自己啓発とは自己認知に始まる
 自分が変化するためには、今までの自分の殻を脱がなければならない。殻を脱ぐためには、まず自分を知らなければならない。これが「自己認知」である。自己認知とは、「マンネリズムから脱出する」ことである。
 しかし、「自己認知」は容易ではない。
 なぜだろうか、それは結局、「考える習慣を身につけなければならない」からであり、そればかりではなく、「自分を裸にしなければならない」のであり、少なからず自分の恥部を凝視することに通じるからである。
 そしてすでに見てきたように、人がプラィドだと考えていることの実態は、「自己陶酔」、「自己喪失」であり、何よりも「考えない習慣」によってプライドを維持してきたからに他ならない。
 自分を凝視する自分とは、自分であって自分ではない。主観的な自分は恥部とともにあるのであって、恥部を凝視する自分は客観的な視線である。客観的な視線は他人のそれと同じである。他人の前に自分をさらけ出すことは容易ではない。

■インベントリー・インタビュー
 簡単な練習をしてみよう。できるだけ詳しく紙に書き出してみよう。

01 私はいつ、どこで生まれたか。
02 私の一番古い記憶は何か。
03 私の兄弟についてどんなことが印象的か。
04 私の両親はどんな人生観をもっていたか。
05 私の幼かった頃について印象に残っていることは何か。
06 私の小学校時代はどんな児童だったか。
07 私の中学校時代はどんな少年(少女)だったか。
08 私はどんな青春時代を過ごしたか。何に関心が強かったか。
09 私の青春時代の社会はどんな状態だったか。
10 私は青春時代、何に反発し、何に共感していたか。
11 私の二十代はどんな人間だったか。周囲からはどのように評価されていたか。
12 私はどんなしつけをうけて育ったか。それは今の自分にどのように反映したか。
13 私が独立した頃には何を考えていたか。
14 私は恋愛についてどう考えているか。
15 私は結婚についてどう考えているか。
16 私は二十代の頃、職業について何を考えていたか。
17 私は三十代の頃、職業について何を考えていたか。
18 私は四十代の頃、職業について何を考えていたか。
19 私は五十代の頃、職業について何を考えていたか。
20 私は六十代の頃、職業について何を考えていたか。
21 私が職業生活から得たことは何か。
22 私は子育てについて何を考えているか。
23 私が今まで人生に影響をうけた人は誰か。何に影響をうけたか。
24 私は定年退職について何を考えるか。
25 私の今までのエポックは何か。
26 私は普通の一日はどんな過ごし方をしているか。満足か不満か、その理由は何か。
27 私が今、もっとも親しくしている人は誰か。
28 私が精神的に助けが必要な場合、誰に相談するか。
29 私の人生での成功があるとすれば、それは何か。
30 私の人生の転機は何か。その時どのように考えたか。
31 私の人生で一番影響をうけた体験は何か。
32 私の人生でもっとも印象的な時期はいつか。
33 私の人生でたくさんのものを捨てた時期があるか。それは何か。
34 私が今、一番恐れていることは何か。
35 私が一番楽しいことは何か。世代によって変わったか。
36 私の人生をやり直せるとしたら、どうしたいか。
37 私は両親と似ているか。あるいは何が違うか。
38 私は若い頃と今と考え方が変わったか。
39 私の最大の長所、最大の短所は何か。
40 私の人生哲学は何か。
41 私は今までの人生から何を得たのか。
42 私が若者に良い人生を過ごす心構えを聞かれたら何を話すか。
43 私が「老い」について最初に考えたのはいつ頃か。
44 私の「老い」に対する心構えは何か。
45 私は加齢とはどういうことだと考えているか。
46 私の将来の楽しみは何か。
47 私の将来の目標は何か。
48 私が今、楽しいのはどんなことか。
49 私の今までの人生を短く総括すれば。
50 私は死についてどのように考えているか。

(あかでめいあVol.1 1994年6月18日より) 奥井禮喜


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